大阪万博EXPO'70が終わった直後の1971年から1974年は、史上最大級のTV特撮シリーズ量産期であった。日替わりのようにヒーローたちの活躍が見られる、まさに群雄割拠の時代が訪れたのである。特撮研究者の間では、60年代の『ウルトラマン』から引き継いだ「第二次怪獣ブーム」と位置づけられ、1971年からの『仮面ライダー』が牽引した「変身ブーム」とも呼ばれている。たしかに変身特撮ヒーローが乱立したのは、仮面ライダーのような等身大ヒーローであれば特殊な撮影技術や高価な機材、ミニチュアセットがなくても作品をつくれるコストダウンが一因である。
そんな時流の中でも、円谷プロダクションはTV作品で怪獣ブームを開拓した元祖としての矜持をみせた。建て込んだミニチュアセットや入念な光学合成など、「特撮の神様」円谷英二から連なる伝統の技術を駆使して巨大ヒーローと怪獣の対決ハイコスト・ハイクオリティで描きぬき、次々と新しい巨大ヒーローを生み出していった。その代表格が『ミラーマン』('71年12月)『ファイヤーマン』('73年1月)『ジャンボーグA(エース)』('73年1月)の3作品である。
ミラーマンは「鏡の国」の二次元人とのハーフ、ジャンボーグAはセスナ機が変形した巨大ロボットを血気盛んな青年が操縦、ファイヤーマンは地底のアバン大陸から来たマグマの超人と、設定的にもウルトラシリーズとは一線を画した出自をもっている。鏡の中に入って変身し、自在に光をあやつって敵を切り裂くミラーマン。マグマの熱球を投げつけ、全身を激しい火炎につつんで怪獣を爆死させるファイヤーマン。人間の動きをトレースしてマシンの動きに変え、人の情熱を宿して戦うジャンボーグA。いずれもダイナミックでエネルギッシュな特撮アクションが楽しめる作品ばかりだ。
特に『ファイヤーマン』と『ジャンボーグA』は、『ウルトラマンタロウ』('73年4月)とともに円谷プロダクション創立10周年記念作品と銘打たれている。ウルトラシリーズと並行しつつ、10周年を超えて未来を先取りしたフロンティアスピリッツが確かにそこに存在していた。事実、ジャンボーグAの操縦機構はCGのモーションキャプチャを先取りするものであるし、後半に登場するジャンボーグ9は後にロボットアニメで大流行する「2号メカ」のルーツなのだから、そのアイデアの先見性は注目に値する。
同時に『ミラーマン』と『ジャンボーグA』は、ある世代には「ついに来たか!」という感慨とともにスタートした作品でもあった。1970年前後から円谷プロ作品は小学館の学年誌に掲載され始め、『マン』『セブン』の再放送とあいまって新世代の怪獣ファンを獲得していた。これが第二次怪獣ブームの原動力につながることになるが、「小学1年生」同誌ではウルトラ以外にも漫画連載で『ミラーマン』と『ジャンボーグA(ジャンボーX)』という見慣れない巨大ヒーローが活躍していた。
これはマルチメディア的な先行展開で、TV化に際してはデザインや設定が改訂されてはいるものの、学年誌から知っているファンにはまさに待望の作品となった。それらの企画の一部には、『ウルトラマン』を成功させた文芸部の金城哲夫が退社前に残したアイデアも息づいているという。
こうした諸々を考えると、「第一次怪獣ブーム」「第二次怪獣ブーム」は決してくっきり分かれているわけではなく、脈々とシームレスにつながっているものが多いことが分かってくる。今回の3作品や初期ウルトラをまとめて鑑賞することで、新たにそうした継承の発見もあるだろう。そして過去から未来へ連綿と流れ続けている要素や価値観の輝きの発見は、どこか頭を押さえつけられ続けているような閉塞感を打ち砕き、さらなる未来を切り拓く触媒となるに違いない。
ひかわ・りゅうすけ/1958年、兵庫県生まれ。1974年に円谷プロのプランナー(当時)竹内博が主宰した同人「怪獣倶楽部」に参加。「てれびくん」(小学館)「テレビマガジン」(講談社)などの児童誌でカメラマン、ライターとして活躍。現在は「特撮ニュータイプ」(角川書店)に長期連載中。文化庁メディア芸術祭アニメーション部門審査員。