僕が4歳の時、67年4月9日—。
今のようにビデオの無い時代、ウルトラマンの最終回がピアノのレッスンの日と重なった。その日、大泣きし二度とピアノに通うことがなかった。
『もしもピアノが弾けたなら』を聴くたびにゼットンを想い出す。
水道橋博士(浅草キッド/漫才師)
ウルトラマン。子供のころの私のヒーロー!
そしてみんなのヒーローだった。
リマスターされ、ブルーレイになる。
また新しい世代の子供たちが夢を見る。最高です!
塚本晋也(映画監督)
50年近くの年月が流れたというのに、ウルトラマンが色あせることはない。
それは、特撮の先駆者として築いた怪獣や宇宙人、そしてウルトラマン自身のキャラが立っているからだ。
それをブルーレイでみられる。こんな幸せはない。
森永卓郎 (経済アナリスト)
当時の「ウルトラマン」が高画質になって蘇ると聞いて
時代が追いついて来たのだなと感じています。
何十年経っても人々を魅了し、色あせぬ魅力は本当に素晴らしいですね。
こうした形で、世界に誇れる日本特撮界の映像を
未来永劫に残せるということが、あの時代を築かれた
円谷プロ創世記の先輩方への恩返し、感謝になるのだと思います。
京本政樹(俳優)
ウルトラマンはあのスリムなボディがカッコよかったなあ。
あそこまでスリムなウルトラマンはその後現れなかった気がする。
それにしてもウルトラマンはどうして地球の平和を守っていたんだろう?
本当に単なるボランティアだったのか?裏がありそうだ。
いつかそこら辺を描いた生々しいウルトラマンを観てみたいものだ。
岩井俊二(映画監督)
子供の頃、どこへ行くにも小脇に抱え持ち歩き表紙もなくなった
ボロボロのウルトラマン図鑑は、ぼくの全てでした。
これからはウルトラマンのBlu-rayを新しい図鑑として、
スチル写真では見えなかった怪獣の身体のトゲの数を数えたいと思います。
出口博之(MONOBRIGHT / Ba.)
『寝ても醒めてもウルトラマンや怪獣の事ばかり』。
そんな子供だった。だが、僕が特別だった訳じゃない。巷にそんな子供は大勢溢れていた。「ウルトラマン」の再放送、僕は毎回カセットデッキをテレビの前に置いてその時を待ち構えた。70年代、まだビデオは普及しておらず、DVDなど影も形もない。証を残そうとするならば、テレビのスピーカーから聞える音をカセットに録音するしか方法がなかった。
「みんな、一言も喋るな!」
家族にそう言って睨みを効かせ、息を殺して録音した。電話が掛かって来る、郵便配達が来る、近所のおばさんがお惣菜のお裾分けにやって来る………。歯軋りしながらそれが過ぎ去るのを待った。全39話、まさに血の出るような思いをして集めたテープ数十本を何度もなんども聞き返した。科学特捜隊の調査、怪獣の出現、怪獣の特徴や武器、ウルトラマンの登場、必殺技、全てのセリフをノートに書き出した。そこに雑誌の付録や駄菓子のオマケで集めた登場怪獣の写真を貼り付け、自分なりの批評や怪獣の感想を書き込んだ。大学ノート2冊分のオリジナル図鑑、すべてがつたないけれど、同時にその時の想いがすべて詰め込まれた図鑑になった。
この時の経験が無ければ今の僕は無い。断言出来る。
小森陽一(小説家)
わっウルトラマンが帰ってきた!帰ってきたウルトラマンじゃないのに
帰ってきた!噺家柳家喬太郎、柳家の芸も原点だけどウルトラマンも原点な
のだ。これでまた高座に身が入るぜ。えー、シュワッチ!!を一席。
シュワッチシュワッチ光輪の擦り切れカカオゲスラのベムラー末バルタン
末ドラコ末食う寝る所は光の国藪らスフランぶらスフランQ星Q星のサイゴ
キーラブルトンピグモン長久命のジェロニモン。
……ウルトラ寿限無。あー高座で演りてぇ!!
柳家喬太郎(噺家)
ウルトラマンや怪獣の皮膚の質感、科特隊基地内のディテール、ジオラマ等が高画質になったことで鮮明になり、そのクオリティの高さに改めて大興奮しました。
今まで何度も繰り返し観てきた作品のはずなのに、思わず出た言葉は…こんなウルトラマン観たことない!
ハヤシ(POLYSICS)
ミュー ジシャン的に例えるならば、ウルトラマンはザ・ビートルズなのです。全く新しい価値観を提示し、全てのキッズを巻き込みながら、いまだ色褪せない影響力を 誇る、まさに超人! どれだけ技術が発達してもジョンやポールを超えられない音楽界のように、ここには映像や特撮の基本、そして全ての芸術が既に完成されているのです……何より、こんなに夢や勇気を与えてくれる作品は他にありません。
(日高 央 / THE STARBEMS / ex-BEAT CRUSADERS)
昨今のデジタル撮影の映画を劇場で観ていると、あまりの鮮明さになんだかデカいテレビを見ている気分にさせられることがある。過去のフィルム作品にしても、迂闊にHDマスターを作ると独特の粒状性が失われ、発色はいいがペッタリとした画になってしまうのだから、やはりフィルムとデジタルの間にはいまだ越えられない高い壁がある。キレイならいいじゃん、という一方の論理はあろうがたとえばゴッホのひまわりが傷んできたので4K撮影してデジタル修復しました、今後はこちらを美術館に飾ってください、という話が通用しないのと同様……いや、ゴメン、これはちょっと喩えが高尚すぎて我ながら手に余る。ようするに、昔のブラウン管で享受してきた思い出の作品たちが、やたら高解像のキレイキレイな画になってもあんまりうれしくない、だってそれは別物だもの、という話だ。
それゆえ、筆者はブラウン管時代のテレビ作品のブルーレイ化とかには基本的に食指が動かない。DVDのちょっと眠たいぐらいの画質がいい塩梅、『ウルトラマン』もDVDでそろえてるからもういいや、とブルーレイBOXの発売を見て見ぬふりをしていたのだが、イベントで見かけたHDリマスターのフッテージを見てその思いは覆されることとなる。
「あれ、こっちが正解!?」と、発色も鮮やかな科特隊隊員たちの制服、モブの服装までコーディネートされたカラー時代黎明期の画面設計を目の当たりにして、内心に叫んでしまったオレ。正解というのは、原点=ちびっこ時代のオレの目に焼き付いている思い出映像そのまんま、ということで、これは敢えて粒状性(フィルムグレイン)を残しつつリマスターしたきめ細やかなコンバートの賜物でもあるのだが、本ブルーレイBOXが示唆する現実はもっと普遍的かつショッキングなものである。
四十の大台をとっくに越えて、オレら目が悪くなっているのだ。。
視力もそうだが、色に感応する細胞とか、なんかその手のものがいろいろ劣化していて、同じ映像を見ても若い頃のように鮮明に受容できない。本作ぐらい入念にHDリマスターされた映像を見て、ようやく子供時代に見たブラウン管映像と同等の感銘を手に入れているらしいのだ。
そう、本ブルーレイBOXの映像を見ることで、我らはついに子供時代に出会ったウルトラマンと再会できる。「こんな高画質、誰も求めていないよ」と言うアナタにこそ見てもらいたい。もう目からウロコが落ちることもなくなった我ら中年の目にも、ブルーレイ化された銀色の巨人は鮮やかに映えるはずだ。長年の芥が視界を曇らせる以前、まだ世界が輝いて見えていた頃の感興とともに。
福井晴敏 (小説家)